サハリンではなく樺太、クリルではなく千島列島、独島ではなく竹島、東海ではなく日本海。
名付けるという行為そのものが、所有するというか占有するということに通じているので、相手の呼称に迎合するということは、樺太を千島列島を竹島を手放すということにつながります。
呼び方一つで外交姿勢が明確になります。
言霊的な発想もありますが、科学的ではないので控えます。でも個人的には結構すきな精神文化なんdねすけどね、「言霊」。
【今、何が問題なのか】ビルマからミャンマーへ
引用元:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/543485/
ミャンマー新政権の民主化改革に呼応して、米国でも有力政治家らの間で「ビルマ」でなく「ミャンマー」の呼称が使われ始めた。23年前、「ビルマ」を「ミャンマー」と変更した軍事政権は、クーデターで成立したため正当性がなく、その決定も受け入れられないとして、米英政府などは「ビルマ」にこだわってきた。2つの言葉にどんな違いが? きょうのテーマは「ビルマからミャンマーへ」とした。
元共和党大統領候補のジョン・マケイン氏(75)やジョゼフ・リーバーマン氏(69)ら4人の米上院議員が今月、ミャンマーを含む東南アジア諸国を歴訪した。1月21日、タイのバンコクで記者会見したマケイン氏は「次の訪問地は“ミャンマー”」と言った。議員らは会見中、努めて「ミャンマー」の呼称を使っているようにみえた、とクリスチャン・サイエンス・モニターが伝えている。
呼称の変化を指摘されると、マケイン氏は「西フィリピン海」に関する冗談を披露してかわしたという。南沙(Spratly)諸島などの領有権争いが繰り広げられている南シナ海(South China Sea)は、フィリピンではこう呼ばれる。ベトナムでは東海だ。使った呼称でどの国の味方なのかを示唆することもある。国や海や島の呼称は外交上、重い意味を持つのである。
■23年前の呼称変更
1988年、軍人出身のネ・ウィン(1911~2002年)の長期独裁体制が倒され、“ビルマの春”が訪れそうになった。ところが、軍がクーデターを決行して全権を掌握、民主化運動を弾圧し、押さえ込んだ。1990年に総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チーさん(66)率いる政党が圧勝した。だが、軍事政権は選挙結果を無視し、権力に居座った。
「ビルマ」から「ミャンマー」への名称変更は89年6月、軍政が発表した。ミャンマーは多数派のビルマ民族のほか、主だったものだけで50の少数民族が存在する多民族国家である。ビルマ民族だけを指す「ビルマ」よりも「ミャンマー」の方が適切と説明された。国連や日本は「ミャンマー」の呼称を受け入れたが、米英両国などは軍政の決定を相手にしなかった。
■「この国」の意味
ミャンマーの新政権は、軍政が作った新憲法に基づく総選挙(2010年)で誕生したとはいえ、スー・チーさんら民主化勢力との対話を進め、メディアの規制を緩め、多数の政治犯を釈放した。こうした動きを受け、昨年11月末、ヒラリー・クリントン米国務長官(64)がミャンマーを訪問した。米国務長官としては57年ぶりのミャンマー訪問だった。
クリントン氏はこのとき、「ビルマ」とも「ミャンマー」とも言わず、「この国」で通した。「ミャンマー」の呼称を認めない従来の立場を貫きつつ、「ビルマ」と言って、ミャンマー新政権の協調姿勢に水をさすことを避けたのだ。これを契機に、「ビルマ」と「ミャンマー」の違いが改めて話題になったのだが、欧米メディアが伝える専門家の見解は要するに、2つの言葉は同じ意味で、「ビルマ」は話し言葉、「ミャンマー」は書き言葉というものだった。
■スー・チーさんが軟化
ミャンマーの民主化勢力は当然、軍政の正当性を認めないから、「ビルマ」を好んだ。ビルマと呼ぶことは、90年の総選挙で“勝利”したスー・チーさんの側への支持であり、ミャンマーと呼ぶことは、軍政を必ずしも敵視するわけではないとの意思表示だった。ところが、新政権の歩み寄りにスー・チーさんが軟化し、軍政の敷いた路線であっても、それに乗って民主化を進める姿勢に転じた。「ビルマ」にこだわる意味がなくなった。マケイン氏は議員の立場だが、いずれオバマ米政権高官が「ミャンマー」を口にすることだろう。
米メディアでは、「Myanmar」のあとに「also(あるいはformerly)known as Burma」とする表現が目立つ。英BBCはなお「ビルマ」とのみ言っているようだ。
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